2012年11月アーカイブ

あるべきものがない、と気づくこと

 学生時代は推理小説が好きだった。母親が家の本棚にずらりとエラリー・クイーンとか、アガサ・クリスティなんかを並べていたから、自然と手にとって読むようになったのかもしれない。いくつか好きなタイプがあったが、やはり謎解きが読んでいて楽しく、また自分でも書いてみようと思っていくつか短編を書いてみたりした。

 

探偵とか、刑事が謎解きをする際に、よく相方のサポート役が「何でこんなことにしつこく拘るんだろう」と訝しんでいるシーンがある。それは、現場の何気ない置物だったり、重要そうではない人物の発言だったり、様々だ。そして、それは大抵読者への大きなヒントの呈示だったりする。それらは、以下のどちらかの構造を持っている事がままある。探偵はその状況に違和感を感じるのだ。

 

・あるはずでないものが、ある。
・あるはずのものが、ない。

 

前者のタイプの事柄に違和感を感じるのは比較的簡単だよね、と言うのが本稿の結論で、一方の後者に気付くのは至難だなあ、とか思うわけだ。まあ、小説だから、目でみたもの、耳で聞いたもの、ほか全てを記述するのが難しいから、という理由もあろうかと思うが、実際の仕事でもあることだなあ、と思う。

 

例えば、デザインとかを仕事にする人の場合、あるデザイン的な制作物を何かが足りない、と思ったり、違和感を感じたり、ということがそれにあたる。ヘッドハンティングやリクルーティングにおいては、対話者の対話内容に何か引っかかりを感じて、それを質問してみた時に初めて本当の理由や経緯がわかる、ということはザラだ。

 

前者の違和感と後者の違和感の違いは、たとえば間違い探しみたいなクイズで、変化前の絵と変化後の絵を時間差で見せる時、などが似ているか。後から増えたものは目に付きやすいが、前から減ったものはわかりにくい。何でかっていうと前からあったものが減ったことに気付くためには、前に何があったか覚えていなくてはいけないからだ。

 

後者の状況で何かに気づくためには、そもそも「あるべき姿」を認識できていなくてはいけないが、前述の間違い探しとの違いは、「変化前の絵」を自分で想定しなくてはならない点であり、それを想定する能力はその人が持っている経験や知識の量とその整理のされ方に依存する。あるべきものがない、と気付くには、あるべきでないものがある、と気付くよりもかなり多くの情報が認識者にないといけないのだ。

 

最近、ドストエフスキーの「カラマーゾフ」を読み始めているのだけど、最高の小説と言われるだけあって伏線が半端ない。ウィトゲンシュタインが兵役の際に持っていった少数の本の一つ、と言うのも、また、村上春樹が何度も読み返した、と言うのも頷けるが、それは再読する度に新しい気付きや発見があるからだろう。この再読にあたって気付きが増えるのは、読者の経験や知識が増えると解釈の幅と深さに変化が生じるからだ。書かれたもの以上に書かれていないもの、行間に膨大な物語がある。読書の楽しみだ。

 

あるはずのものがないのではないか、という視点でまわりを見渡すと、写真のネガとポジの逆転みたいなことが起こる。いままで黒地だとおもっていたものが白く浮かび上がってくる。そして、そこで初めて「全体を動かしている構造」の存在を知る。その構造の中において、何かの不存在の理由、誰かの不作為の理由には、存在理由や作為の動機と同等かあるいはそれ以上の真理が潜んでいる。そこに思いを馳せると世の中の趣は何倍にも広がる。

 



Author:渡辺健堂
1971年生 北海道出身 北海道大学法学部卒
卒業後、㈱日本長期信用銀行入行。コーポレートファイナンス業務、マーケット部門でミドルオフィス業務に従事。その後、ベンチャー企業を経て2000年にヘッドハンティング会社の設立に参画。2002年に同社代表取締役社長に就任。投資ファンドにおける投資先経営陣確保の重要性に着目、幅広い業界の経営者候補との強いパイプラインを築く。
2006年㈱エグゼクティブ・ボードの立上げに参画、主に金融の他、事業開発、事業企画などを得意とし、経営者発掘と投資ビジネスの融合を模索している。

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