人が産業の構造を変える

4月が来ると色々なところで、新社会人になる人達を見かける。来年の新社会人である就活生も、この4月から本格的な就職活動に入るからか、同様に目にすることが多い。1995年4月に筆者は日本長期信用銀行に入行した。17年っていうのは、小学校入校から大学卒業までの時間と同じで(一年留年したので)、それほど時間が経てば、そりゃあ世の中も変わるよな、ということを感じるのに十分な時間だ。その時に自分がたどる時間がこんな風になるとは思いもしなかった。

 

城山三郎という経済小説家の書いた「小説日本興業銀行」とか「官僚たちの夏」とかを読んで、産業金融というものに憧れを抱いていて1995年に長銀に入った。1998年に国有化され、1999年には外資系の新興ファンドであるリップルウッドに売却された。同じ99年に個人的には最初の転職をして、当時株式公開をしたばかりの某ベンチャー企業に入社した。その時に転職をサポートしてくれたのが、前職のインテリジェンスであった。

 

そのころのインテリジェンスは、カウンセリングに行ってもとても活気があって、若い人達がのびのびと楽しく仕事をしている、いかにもベンチャーな雰囲気の会社だった。一顧客として接していても「よさそうな会社だな」と思っていたので、そのインテリジェンスが株式を公開する際に創設するヘッドハンティング子会社の設立に誘われた時には、あまり悩みもせず、即答で応諾した。これは今でもいい決断だったと思っている。2000年だった。

 

長銀入行当初、産業を変革するのは、中長期の視点を持ったバンカーであると考えていた。実際上記にあげた経済小説で描かれた事例は、そうしたことが実際過去にあったことを教えてくれていた。実際に銀行にはいって、それほど大した実務経験を得ないままに、国有化されてしまった。いまから考えると、当時、もう産業界は、銀行による融資によって事業を伸ばす段階を終えていたのだと思う。資金調達の方法は多様化していたし、なにより当の事業会社のほうが信用力が高かった。結果として、当時21行あった主要銀行(都市銀行、長信銀、信託銀行)は、いまや数グループにまで集約された。

 

長銀にいた最後の頃に読んだ「プライベート・エクイティのすべて」という本の中に、金融の先端的な手法であるプライベート・エクイティ投資の実務において、日本特有の課題として重要な問題が「経営人材の不足」の問題だ、という記述があった。さらに同時期、インターネットが徐々に世に広まりつつあり、そこではある一つのアイディアやサービスが、従来の事業では考えられないくらいのスピードで立ち上がっていった。事業の立ち上げから、その事業化、そして、運営・経営、果てはターンアラウンドまで、フォーカスされるのは「金」ではなく「人」にシフトするなら、その人にダイレクトに関わることが当初の自分の夢を実現するのに近道なのではないか、と考えた。

 

あれから十数年たって、「人」によって産業界は変わったのか、と言われるとどうなんだろう、と思わないでもない。もちろん、個々の企業を見ていけば、様々な革新があった例も多いと思うし、いくつものベンチャー企業が公開して新しい価値を社会に提供したことは間違いない。でも、国力の成長とともにどうしたって国内における生産費用が高まる中で、繊維→鉄鋼→自動車→電機といった、より高付加価値な業界に産業界全体がシフトしていったような劇的な構造シフトが出来なかった20年ではないか、ということは色々なところで言われている。

 

もちろん、「そんなことを考える前に、目の前のことをやるのだ!」というスタンスがあるのも否定しないし、それはそれで正しいのだと思う。神の見えざる手、だ。でも、単純に個人として、そうしたことが気になって仕方がない。そして、いま個人的に、もしかしたら日本という枠組みにおける変化のきっかけとなりうるのではないか、と考えているのが、震災を契機とする諸々の事象だ。個人の精神構造にも、社会的な意味合いでも、そして、実はテクノロジーの観点からも、あの震災が契機であった、という地殻変動が起きているような気がする。

 

そうした見方は単なる願望かもしれない。でも、そうでもなければ、いま、この日本にたまたま生をうけて生きている意味がないような気がする。そして、それは、大それたイベントとして目の前に現れてくるのではなく、いわば毛細血管のように社会の各事象にきめ細かく入り込んで、いつの間にかパラダイムを変えてるような、そうした変化なのではないかと思う。そして、その変化の担い手であり受益者は、有名な特定の「誰か」ではなく、不特定多数の「我々」なのだと思う。

 

当初考えていた、「人」が産業の構造を変える、ということが、今はちょっと違う意味合いで自分の中でテーマになっている。引き続き、このテーマでしばらく考えてみたい。



Author:渡辺健堂
1971年生 北海道出身 北海道大学法学部卒
卒業後、㈱日本長期信用銀行入行。コーポレートファイナンス業務、マーケット部門でミドルオフィス業務に従事。その後、ベンチャー企業を経て2000年にヘッドハンティング会社の設立に参画。2002年に同社代表取締役社長に就任。投資ファンドにおける投資先経営陣確保の重要性に着目、幅広い業界の経営者候補との強いパイプラインを築く。
2006年㈱エグゼクティブ・ボードの立上げに参画、主に金融の他、事業開発、事業企画などを得意とし、経営者発掘と投資ビジネスの融合を模索している。

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