2011年10月アーカイブ

どちらが先か

数ヶ月前、知人から薦められて自分のノートPCをMacBook Airに変更した。スマホもiphoneだし、いつの間にか身の回りにappleの製品が増えてきていた。と思っていたら、スティーブ・ジョブズが亡くなった。多くの人がその死を悼むのと同時に、彼の業績を口を極めて褒めちぎったし、今もその余波は、iphone4Sの発売というイベントと相まって、途切れることなく続いている。

 

歴史に名前を残す方法っていうのは、色々あるんだろう。また、その時代その時代で、トレンドがあると思うし、同じ個性が別に時代の別の場所に生まれていたら、もしかしたら別の方法で何かを成し遂げていたのかもしれないけど、何もしなかったかもしれない。ある時代で言えば、戦争の勝者こそが最も影響力が高くて、結果として良い意味で名前を残すかもしれないけど、そんな煽動的なカリスマみたいな人が今の時代に生まれたら、宗教法人の教祖になってカルト扱いされているか、暴力団のトップとして指定団体の長となり必要悪とか言われているかもしれない。

 

結局、ある個人のなしたことというのは、時代背景や環境を抜きにして評価することは出来ない。当たり前といえば当たり前。全ては相対的であるし、特にタイミングというのは、個人の能力や個性以上にその人の人生や社会へ多大な影響を与える。というか、極論でいえば、もし、何か社会に良い意味でも、悪い意味でも、大きな影響を及ぼすような出来事があり、それを起こした中心にある個人が存在するようなことがあった時、出来事が先にあるのであって、個人はその付随物に過ぎないのではないかと思ったりする。

 

個人が出来事を起こすのではなくて、出来事が起こるときに、「たまたま」ある個人を選ぶ、ということだ。歴史上の発見や発明は、誰か特定の個性無くしてはこの世に生まれなかった、というよりは、遅かれ早かれ、時代の趨勢はそうした発明や発見がされたであろうし、それが誰によってされたか、というのは、ルシアンルーレットみたいな偶然の産物に過ぎない、と。

 

それでも、人間は人間の力を信じたいものなんだろう。だって、自分自身の無条件の肯定がなくては、あらゆることが無意味に思えて、すぐモチベーションが下がってイノベーションが生まれなくなってしまうかも知れないから。イノベーションが起これば、それで身の回りのいろんなことが便利になっていったり、幸福の総量が増えていったりすることは、率直に良いことだなあ、と思う。でも、為したことの大きさで人間の価値とか何かを測ることは、個人的にはあまり意味が無いな、と思ったりする。でも、なぜか知らないけど、ジョブズがなくなったとき、会ったこともないのに悲しい気持ちになったりするから、人生って面白いな、と思う。



Author:渡辺健堂
1971年生 北海道出身 北海道大学法学部卒
卒業後、㈱日本長期信用銀行入行。コーポレートファイナンス業務、マーケット部門でミドルオフィス業務に従事。その後、ベンチャー企業を経て2000年にヘッドハンティング会社の設立に参画。2002年に同社代表取締役社長に就任。投資ファンドにおける投資先経営陣確保の重要性に着目、幅広い業界の経営者候補との強いパイプラインを築く。
2006年㈱エグゼクティブ・ボードの立上げに参画、主に金融の他、事業開発、事業企画などを得意とし、経営者発掘と投資ビジネスの融合を模索している。

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