2010年2月アーカイブ

ビジネスでも、プライベートでも、何でもいいのだけど、ある局面で選択肢がいくつかある局面でひとつを選べなくてはいけない、という場面を想定する。複数の選択肢から消去法的に考えていって、2,3くらいまでは比較的早く到達できる場合が多いと思う。それで、題名のような状況に達したとしよう。つまり、最後の二つの選択肢は、「もう、どちらをとっても、あまり変わりは無いな」と思えるような状況だ。

たいていの場合、前提条件がかなり不確実な場合によくあることかもしれない。もしも前提条件がすべてクリアならば、選択肢は一つに選べるはずだ。何か情報として不確実な部分が多いから「どちらもかわらない」と思えるのではないか?ゲームで言うと、それは序盤に起こりやすいような気がする。将棋でも、ポーカーでも、マージャンでも、ゲームが進行すればするほど情報は多くなり、判断材料が増える。

まったく情報が無いならば、本当にその二つの打ち手はどちらでもいいのかもしれない。でも、本当に情報はないのだろうか?自分が勝手に「それは前提条件を示す情報じゃない」と考えていることって多いのじゃないか?あるいは、少し工夫すれば何らかの情報は手に入るのではないか?

いや、もっというならば、シミュレーションを重ねることで、実は同じように見える二つの打ち手が、確度として最初は50/50に見えていたものが、51/49になるかもしれない。もうしそうならば、そのわずかな差をきちんと見極めてゲームを進めていくのと、50/50でどちらでもいいや、と思って進めていくのとでは、わずか数手先においても目に見える明確な差になっていく。

もちろん、最善手を打っていても、勝てるとは限らない、それこそ時の運ってこともあるだろう。でも、ゲームが一発勝負で無いならば、上記の51/49を見出そうと努力し、それに対して打ち手を決めていくプレイヤーと、漫然と「どちらでもいいや」と思って打ち手を決めているプレイヤーとでは、総合的な勝率において大きな差が出るだろう。

ビジネスにおいても「決めることが経営そのものであり、社長の仕事」ということが言われる。もちろん、最終的な意思決定をすることが重要な役割であることは間違いない。でも、それは、「単にどっちでもいいことを、どちらか決めて、最終責任を取る」というような簡単なことではない。あらゆる情報を元に、上述のような「わずかな差」を見極める立場にあるのが社長である、という構造的な問題から帰結する「役割」なのであって、単なる精神論ではない。

わずかな差異を敏感に察知して、あらゆる可能性を考慮しようと努力すること。その上で、「もう、本当に情報は無いか、シミュレーションはつくしたか?」と考え続けること。いやはや、経営は面倒だけど、だからこそ多くの優秀な人材をひきつけるのだろう。


Author:渡辺健堂
1971年生 北海道出身 北海道大学法学部卒
卒業後、㈱日本長期信用銀行入行。コーポレートファイナンス業務、マーケット部門でミドルオフィス業務に従事。その後、ベンチャー企業を経て2000年にヘッドハンティング会社の設立に参画。2002年に同社代表取締役社長に就任。投資ファンドにおける投資先経営陣確保の重要性に着目、幅広い業界の経営者候補との強いパイプラインを築く。
2006年㈱エグゼクティブ・ボードの立上げに参画、主に金融の他、事業開発、事業企画などを得意とし、経営者発掘と投資ビジネスの融合を模索している。

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