2009年5月アーカイブ

将棋

最近、梅田望夫さんの著書で、「シリコンバレーから将棋を観る -羽生善治と現代」という本を読んでいる。羽生さんはほぼ同年代ということもあり、メディアに少しでも取り上げられると結構気になって見ていたものだった。情熱大陸は数少ない定期視聴TV番組だが、そこでも最近は棋士が取り上げられると結構食い入るように見るし、毎回名作が多いので、保存しておきたい欲望に駆られる。ちなみに、去年だったか、佐藤康光棋士が取り上げられた回は涙が出るくらい感動した。

たしか、初めて将棋に触れたのは小学校一年生くらいの頃だったと思う。担任の先生(船木先生という名前だった)が将棋が好きで給食の後の休み時間に牛乳キャップの裏に「飛車」とか「銀」とか書いて紙に書いた将棋盤の上に9×9のマスを書いてワイワイしながらやっていた記憶がある。結構自分の性に合っていたのか、詰将棋の本や、次の一手などの本を何冊かかって、日がなずーっと盤面とにらめっこしながら考え込んでいるようなこともあった。父親もある程度将棋がうまかったのも自分が上達した理由だろう。

梅田さんの本で書かれていることで、面白かったのは以下のようないくつかのこと。
・以前の将棋では中盤から終盤以降が大切だったが、現代将棋では序盤からすでに高度な読み合いが発生している。
・10年に一度天才が現れるが、羽生世代は数名の天才が現れ、彼らが同世代間で切磋琢磨することで現代将棋の広がりが生じた。
・過去の棋譜(勝負の記録)の膨大なデータをインターネットに蓄積され、それを皆が分析することで、最先端の戦術がオープンになり、ある程度の技術レベルまではある程度の能力とやる気があれば、誰でも最速で到達できるようになった。
・一方、そこから先は、むしろ以前よりも高度な創造力が必要となり、才能の格差が拡大している。
・羽生さんですら、序盤から実験的な手を先輩棋士に打つと「無礼だ」などという批判が当初はあったらしいが、まさにその実験精神が現代将棋の圧倒的なすそ野の広がりを推進した。

ほんのごくわずかの天才が未開の地を手さぐりで切り開き、その恩恵を凡人たちが享受する、という世界の基本構造は今後ますます強化されていくんだろう。でも、その天才もまた、周りに同じような天才がいることでその能力を開花させるという相互干渉する環境が重要なのだ。梅田さんが言うように将棋の世界はシリコンバレー(あるいはGoogle)と同じように一足先にそれを経験したのだろう。そう考えると、とてもワクワクする。


Author:渡辺健堂
1971年生 北海道出身 北海道大学法学部卒
卒業後、㈱日本長期信用銀行入行。コーポレートファイナンス業務、マーケット部門でミドルオフィス業務に従事。その後、ベンチャー企業を経て2000年にヘッドハンティング会社の設立に参画。2002年に同社代表取締役社長に就任。投資ファンドにおける投資先経営陣確保の重要性に着目、幅広い業界の経営者候補との強いパイプラインを築く。
2006年㈱エグゼクティブ・ボードの立上げに参画、主に金融の他、事業開発、事業企画などを得意とし、経営者発掘と投資ビジネスの融合を模索している。

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