2008年5月アーカイブ

英単語とネアカとニヒリズム

以前本ブログでも書いた「子供のための哲学対話」で、ネクラとネアカの違いがでてくるが、最近ますますこの分類が気に入っている。ネアカとは、根が明るいということだから、外見や雰囲気に関係がなく、「なぜだか、自分の存在それだけで満ち足りている人」のことをいい、ネクラとは、自分の存在だけでは充ち足りないので、常に生きる意味や存在意義などを求めてしまう人のことをいう。これが本書のネクラとネアカの定義だ。自分探しなどをやっている人などは、さしづめ典型的なネクラだし、自分の存在意義をいつも確認しながら生きているひとも、ネクラだ。逆に、意味なんてなんにも考えないで、その瞬間、その行為そのものだけでなぜだか楽しいと自分で思っている人はネアカだ。

先日、投資先の社長で、比較的長く付き合っている同年代の人(仮にS氏としよう)と飲んでいた時に、お互い虚無的であり、厭世的だという点が共通しているね、という話になった。S氏はその帰結として、「何をやっても世の中は変わらないのだ、という気分にしばしばなるよ、宿命論、決定論みたいなさ」と話をしていたのに対して、筆者は「いや、確かに世の中の本質は変わらないが、表層は大きく変動する。だから僕の立脚点はSさんのいう意味における決定論的ではないな」と答えた。

だが、そのような立ち位置に立ったのは比較的最近であり、先天的なものではないよな、と自分なりに思っていたが、その変化のきっかけは上記の本の中にある「ネアカ」になりたい、ということから来ているのだと合点した。つまり筆者はネクラであるわけだが。ネアカでありたい、というのは、自分(の存在そのもの)以外に目的を持ちたくない、ということだ。だから、自分以外の目的を持つことを所与の前提として語る言説に対しては、まずは批判的にとらえなおす癖がついているのだと思う。

昨年9月から続いているワークアウトだが、これを「健康のため」とかにしていたら、今頃はまず続いていなかったろうと思う。以前も書いたが、これはレコーディングダイエットという手法のコンセプトが当初のきっかけであり、かつ、継続の理由でもある。要は、「続けていることそのものが楽しい」という状態をつくったから、今もただ楽しくて続けている、という話だ。何をやっても変わらない、という認識よりは、何をどうやっても万物は流転する、という認識のほうが自分の実感に近い。そう、何をやっても、「変わり続ける」のが世界だ。そもそも人間の存在=認識の先に「死」が用意されていることがその実感を、根本的なところで担保していると思う。
だったら、意図や目的をもたず、ただただ時間をやり過ごして、やがて来る「死」という究極の変化までを、自己肯定で充溢させることが本来的な生の在り方だろうと思っている。

で、そのダイエットでうまくいった「ただただその行為を楽しむ構造を作る」というやり方を、いま英単語に適用しようとしている。英語に不自由ない状況になれば、もっと世界は楽しくなるだろうと思って、先日「出る単3000」という本を買って、いま、毎日カバンに入れている。しかし、まったく開かない。そう、構造になっていないのだ。レコーディングにしないと。しかし、レコーディングになっていないものをしようと、こんな簡単なことなのに、しようとしない。そういえば、上記の本の中には、「なかなか始められないことは、とにかく、ふと、始めてみればいい」と書いてあったな。よし、じゃあ、明日からふと始めてみることにしよう・・・。

FC2 Blog Ranking←ランキング参加しています

2つのタイプ

よく、人格判断とか性格判断とかで、「人間って大きく2つのタイプにわかれますよね」という切り口はとても一般的だ。まあ、3つの場合もあるけれども、わかりやすさでいえば「2つ」のほうに軍配が上がる。さらに表現手法として「…であるタイプと…でないタイプ」という切り分け方は分かりやすさの点でいってもかなりいい線いっていると思う。

その時に、その2つの割合が感覚的にある程度同じような割合であることは重要なんだろうと思う。ペットなら犬派と猫派での分類とか、勉強なら文系と理系とか。
50:50とまではいかなくとも30:70程度までの「感覚的な」シェアがこのレトリックでは重要だ。逆に、1:99のような比率の事象において同様の表現が使われた場合は、1を目立たせるか99を貶めるかのどちらかの意図で「敢えて」表現するような場合に限られるだろう。

この表現方法の肝は「ある切り口を際立たせる」ということだろう。言っている本人だって、その2つのタイプ分けが重要だと思っているのではなく、事象、現象に対する、自分なりの切り口の鋭さを誇示するような意図が背後にある場合が多いような気がする。

そういえば、ずっと昔から、猫が好きだった。そもそもペットでいえば、猫ってどの程度のマインドシェアを占めているのだろう?やっぱり猫が好きっていうバラエティは秀逸だったが、周りに聞いても圧倒的に犬派が多い。僕が猫を好きなのは、まず大きくならないという点。猫は犬と違って、大きさはある範囲内に収まる。印象論としても、犬は従順であり、忠犬ハチ公の例を引くまでもなく、ひたすら人間に忠誠をつくすイメージがある。だから芸を仕込むのも犬が多い。

ペットが、「愛玩動物」とか「癒しの対象」とかという価値を目的として持っているのであれば、犬のほうが優れていると思う。猫の「孤高感」とか「自尊性」とかは、考えてみると愛玩動物の価値基準としては一段下にならざるを得ない。でも、「あそこまで媚びることはないだろう!」といつも犬を見ていると思ってしまうのだ。

たぶん、これは実際のビジネスにおける価値判断にも大きな影響を及ぼしているような気がする。犬好きのうほうが大きな組織をマネージする志向性に合っていると思う。ま、要は軍隊式だって話だろうけれども。猫ってクリエイターって感じかな?すくなくとも、マネジメントに猫派は向いていないと思う。

先日、社長経験者が数名集まって話をした時の会話が、みんながみんな「おれ、マネジメント向いていないんだよな」というものであった。いや、向いていないというより「マネジメントが好きになれない」というトーンが多かったか。よくある話だが、そういう人こそマネジメントに向いていたりする。やりたい人より、やりたくない人のほうが向いている、というのは、皮肉なものだなと思うが、マネジメントはその典型的な領域だと思う。

まとまりがない話になったが、まとまりのないまま終わらせようと思う。おわり。

FC2 Blog Ranking←ランキング参加しています


Author:渡辺健堂
1971年生 北海道出身 北海道大学法学部卒
卒業後、㈱日本長期信用銀行入行。コーポレートファイナンス業務、マーケット部門でミドルオフィス業務に従事。その後、ベンチャー企業を経て2000年にヘッドハンティング会社の設立に参画。2002年に同社代表取締役社長に就任。投資ファンドにおける投資先経営陣確保の重要性に着目、幅広い業界の経営者候補との強いパイプラインを築く。
2006年㈱エグゼクティブ・ボードの立上げに参画、主に金融の他、事業開発、事業企画などを得意とし、経営者発掘と投資ビジネスの融合を模索している。

2016年2月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29          

カテゴリ

Powered by Movable Type 4.22-ja