2007年12月アーカイブ

人生は刺激的なイベントばかり

具体的な社名を上げるのは本コラムの趣旨に反するような気がするのであえて言わないけれども、この数日の報道で、いくつかの企業がネガティブな発表を行った。それぞれの会社で業務に当たっている社員の一人ひとりにおかれては本当に大変なことであり、心より応援したいと思う。そのネガティブな発表というのは、たいていが経営判断によるものであり、経営者は責任を逃れることはできないだろう。

筆者も最初に入社した銀行が実質破綻し、国有化された経験を持つので、こういった状況になった場合に社員やその家族がどれだけ肩身の狭い思いをするのかは骨身にしみて分かっている。そしてこういった時期にこそ、本物の「志士」と、そうでない人々との行動の違いが如実に出るものだと思う。もちろん、筆者は後者であったわけだが。

そのときに感じたことと、今感じることとは大きな隔たりがある。今回の報道をみて最初に感じたこととは、「あー、もう、これだから人生は楽しいんだよな」というものだった。上述のとおり、社員やその他の罪もない方々にふりかかったご不幸に関しては心よりお悔やみを申し上げる。しかし、それを一旦棚上げして、不謹慎と取られるリスクを勘案しながらもあえてどのように感じたかを言うと、「本当に次々といろんなことが起こるな、世の中は」ということだった。

数年前までメディアの寵児のように扱われていた若手経営者、中興の祖として古い企業体質を創業家でありながら立て直してきた名経営者、などなど、一時は全面的賛辞を惜しみなく贈られてきた経営者達が、「実はあのときから不正をしていたんです」っていう結末。もう、これを面白いといわずして、何を面白いというのか、と。

で、つくづく、会社という擬制、その上で行われるビジネスというゲーム、株式市場で増幅される虚像、その虚像を利用して拡大される経営者のエゴ、それら一種の大人のおもちゃがいかによくできたものかということを痛感するにいたった。たぶん、これからもこういった「ありゃりゃりゃ、そんな話になっていたんだ!」というサプライズイベントは消えることがないと思う。そして、こういった刺激を次々と与えてくれるこの人生という舞台にこころから感謝したいと思う。


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経験から得られた仮説(1)

今後、ショートバージョンをいくつかアップしようという方針のもとに、上記「経験から得られた仮説」シリーズをやっていこうと思う。

「物事がうまくいかないときの対処法を考えるよりも、物事がうまくいってしまったときの対処法を考えることの方がはるかに難しい」

撤退策を用意した上で物事を始めるということは基本であり、精神的なダメージを除けば、バッドシナリオというのは、準備しやすい。
ただ、望外にうまくいってしまうという状況は、しばしば個人の人生を破壊するに足る致命的なダメージを与える。そして、それは事前に準備することが難しい。


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ラストリゾートとしての人材(1)

価値創造のプロセスはいかなるものか、ということを考えるときに、大きく二つのアプローチがある。

一つはものづくり的視点から見た価値の創造。
このアプローチはゼロからプラスアルファの何かを生み出すこと、それを価値創造と考えており、多くの人の直感とほぼ近いものと思われる。とりわけ、ものづくりということに特別の感慨を持つ日本であれば、なおさらこうした見方が大勢を占めると思う。

もう一つは、あえていうなら金融的視点からみた価値創造、とでもいえるだろうか?
その本質は、アービトラージ(鞘取り、裁定取引)を例にとると分かりやすいかもしれない。
要は「本来同じ価値である二つのものに(価格)差がある場合、価値の低い(安い)ほうを買って、価値の高いほうを売ることで儲けること」をアービトラージといい、この「本来同じ価値である二つのもの」が、地理的、時間的、技術的な何らかの要因で「価格差」が生じている状態において、アービトラージを行い、その価格差(鞘)をとっていくことをさす。
この鞘は当然もともと同じ価値であるところに生じているものであるから、いつかは同じ価格に収斂する。そのときに初めて人は「ああ、これは同じものだったんだ」と気づく。この「差」を見出して実際に収斂させる一連の行動を起こすことが価値創造だ、ということだ。

たとえば、技術の分野でいえば、ある基礎技術が発明され、その基礎技術を用いてある製品やサービスが作られて、それが社会を大きく変えるようなことはよくある。
この場合、後工程であるところの「製品・サービスの開発」というところで、「ものづくり的視点における価値創造」が行われているのだ、という見方もできるが、いや実はそれよりも前段階で価値創造はあったと見ることもできる。
当初の基礎技術そのものが、まず見出されたことが大きい。さらに言えば、その基礎技術は、いままで世界に存在しなかったものが出てきたのかといえばそうではなく、人間の認識がそこまで到達していなかったから発見されえなかったとも言える。
その場合、誰かがその「差」を見つけ、利用可能な形に置き換えていったことそのものが価値創造の本質であり、後工程においてゼロからプラスアルファを生み出した(ように見える)ことというのはその本質ではない、まあそこまで言わなくとも価値創造全体のプロセスの一部に過ぎないだろう。

価値創造をどのようにとらえるか、ということの違いだが、アービトラージの見方をとると、もう一つ興味深い事象があるように思う。それは、遅かれ早かれ価格差がなくなるということだ。
収斂する、ということは均衡状態になるということであり、コモディティになる、ということだ。金融的視点の価値創造は、差の発見→アービトラージ→差の消滅→均衡というプロセスを経る。
「あらゆるものは均衡する」ということであり、マネーの性質としては常に「価格差」を求めて機会を探し回る。あらゆる金融商品、デリバティブはこの繰り返しが歴史である。価格の付いていないもの(堂島の米先物から、米国のハリケーンまで)に価格をつけ、価格差を消滅させ、次の価格の付いていないものを探す。

そして、こういった金融領域で起こったことから演繹されるのが、本コラムのタイトルである「ラストリゾートとしての人材」である。

以下次回

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Author:渡辺健堂
1971年生 北海道出身 北海道大学法学部卒
卒業後、㈱日本長期信用銀行入行。コーポレートファイナンス業務、マーケット部門でミドルオフィス業務に従事。その後、ベンチャー企業を経て2000年にヘッドハンティング会社の設立に参画。2002年に同社代表取締役社長に就任。投資ファンドにおける投資先経営陣確保の重要性に着目、幅広い業界の経営者候補との強いパイプラインを築く。
2006年㈱エグゼクティブ・ボードの立上げに参画、主に金融の他、事業開発、事業企画などを得意とし、経営者発掘と投資ビジネスの融合を模索している。

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