今回は、最近お会いした人財で、将来本物の経営者として活躍、成功頂きたい方をご紹介したい。
K氏(34歳)は、理工系大学院卒業に際して将来は日本と海外(特にアジア)の架け橋となるような仕事をしたいと決め、大手総合商社に入社した。海外から原材料の輸入取引や事業投資に関する企画立案から実行に至るまでの業務を数年経験し、周囲からも高く評価されていた。
しかし、K氏自身は大企業の組織化されたビジネスモデルを学びながらも、意思決定スピードの遅さや、いつまでも方針決定に関わることができないもどかしさを感じていたという。
そんな時、仕事を通して知り合った急成長している金融会社(上場)のオーナーから中国をはじめ、アジアへ積極的に事業を展開するので一緒にやらないかというスカウトを受けた。
K氏は、圧倒的な経営者の事業に対する熱意や、日本を含めたアジアで事業拡大する事に大きな魅力を感じたという。入社後、国内で中国事業に関する計画を策定し、まもなくK氏は31歳で現地法人の副総経理に就任した。
そして、ゼロから会社を立ち上げ、ファイナンスコンサルティング事業を手始めに、ベンチャー投資事業、ファイナンスリース事業と次々に事業を手がけ、短期間で事業を黒字に転換させ、100名近くの従業員を統括する立場になった。
そんな矢先にリーマン破綻があり、日本本社の業績が急速に悪化し、ガバナンスも大きく変化した影響を受け、帰国を余儀なくされる。悩んだあげく、お世話になったオーナー経営者と別れ、中国に残り日本企業の現地法人に転職を決意した。
K氏は、中国進出して間もないこの企業において、現地法人のCFOとして経理、財務等の管理部門マネジメントを担当した後、希望して新しい拠点の事業責任者として事業開発及び運営を行うことになる。ただ、ここでも日本本社の業績不振により、海外事業に関する戦略が見直され、帰任の命が下された。
K氏はその会社を退職し、自らも出資して合弁で新たな会社を創り事業を継続したいと申し出るも受け入れられず、やむなくベトナムに渡り、現地の人財と共に起業を模索することになる。
そんな時、久し振りに帰国したK氏をある人から紹介され、お会いした。
私自身も20代で創業に参加した時を思い起こし、K氏の日本とアジアに対する熱く強い想いを聞き、その実現に向けて全面的に応援したいと決めた。
K氏と話し合い当面起業は断念することになり、当社のつながりのある企業で積極的に中国やアジアに事業展開する企業経営者に引き合わせた結果、多くの経営者がK氏に興味を持って頂いた。それは、K氏の現地法人の立ち上げや、国籍を異とする人財の多様なマネジメント経験を評価するだけでなく、危機や困難の中に在って決して会社や経営のせいにすることなく、その時点でギリギリのチャレンジし続けている生き方にあったと思う。
そのK氏が最終的に選んだのは、ベトナム人社長が経営するベンチャー企業で、現在は日本に本社があり、今後アジア・欧米に展開する海外事業責任者という役割であった。
若くして自ら成し遂げたいことを決め、周囲の環境がどう変化しようとそれに流されたり負けたりすることなく、精一杯のチャレンジをし続けるK氏。
ベンチャースピリット、ここにあり!
K氏(34歳)は、理工系大学院卒業に際して将来は日本と海外(特にアジア)の架け橋となるような仕事をしたいと決め、大手総合商社に入社した。海外から原材料の輸入取引や事業投資に関する企画立案から実行に至るまでの業務を数年経験し、周囲からも高く評価されていた。
しかし、K氏自身は大企業の組織化されたビジネスモデルを学びながらも、意思決定スピードの遅さや、いつまでも方針決定に関わることができないもどかしさを感じていたという。
そんな時、仕事を通して知り合った急成長している金融会社(上場)のオーナーから中国をはじめ、アジアへ積極的に事業を展開するので一緒にやらないかというスカウトを受けた。
K氏は、圧倒的な経営者の事業に対する熱意や、日本を含めたアジアで事業拡大する事に大きな魅力を感じたという。入社後、国内で中国事業に関する計画を策定し、まもなくK氏は31歳で現地法人の副総経理に就任した。
そして、ゼロから会社を立ち上げ、ファイナンスコンサルティング事業を手始めに、ベンチャー投資事業、ファイナンスリース事業と次々に事業を手がけ、短期間で事業を黒字に転換させ、100名近くの従業員を統括する立場になった。
そんな矢先にリーマン破綻があり、日本本社の業績が急速に悪化し、ガバナンスも大きく変化した影響を受け、帰国を余儀なくされる。悩んだあげく、お世話になったオーナー経営者と別れ、中国に残り日本企業の現地法人に転職を決意した。
K氏は、中国進出して間もないこの企業において、現地法人のCFOとして経理、財務等の管理部門マネジメントを担当した後、希望して新しい拠点の事業責任者として事業開発及び運営を行うことになる。ただ、ここでも日本本社の業績不振により、海外事業に関する戦略が見直され、帰任の命が下された。
K氏はその会社を退職し、自らも出資して合弁で新たな会社を創り事業を継続したいと申し出るも受け入れられず、やむなくベトナムに渡り、現地の人財と共に起業を模索することになる。
そんな時、久し振りに帰国したK氏をある人から紹介され、お会いした。
私自身も20代で創業に参加した時を思い起こし、K氏の日本とアジアに対する熱く強い想いを聞き、その実現に向けて全面的に応援したいと決めた。
K氏と話し合い当面起業は断念することになり、当社のつながりのある企業で積極的に中国やアジアに事業展開する企業経営者に引き合わせた結果、多くの経営者がK氏に興味を持って頂いた。それは、K氏の現地法人の立ち上げや、国籍を異とする人財の多様なマネジメント経験を評価するだけでなく、危機や困難の中に在って決して会社や経営のせいにすることなく、その時点でギリギリのチャレンジし続けている生き方にあったと思う。
そのK氏が最終的に選んだのは、ベトナム人社長が経営するベンチャー企業で、現在は日本に本社があり、今後アジア・欧米に展開する海外事業責任者という役割であった。
若くして自ら成し遂げたいことを決め、周囲の環境がどう変化しようとそれに流されたり負けたりすることなく、精一杯のチャレンジをし続けるK氏。
ベンチャースピリット、ここにあり!